国語の分析法を実施中。
2人とも自分の考えた案を出してくれるのですが、2人の出す意見はことごとく正反対。
いい機会なので、自分が考えた答えとその理由を説明してもらいました。
それぞれの意見を聞くうちに、「もしや、自分の意見が正しいのでは?」「うーん。自分の意見はどこか違う、、、」と発見があったようです。前者は、途中から意気揚々と語り、後者は、あー違った!と自分の間違いを訂正し、、、とてもいい刺激になったのではないかと思います。
2人の意見を聞いていると、
・行動の主体(主語)が読み取れていない
・場面の展開(時間の流れ)に気づいていない
といった問題が出てきました。これは、ひたすら文章を読んで、意図を読み取り続けるしかありません。
今回の解き直しも、じっくりと時間をかけて3人で意見を出し合いながら読み方を練習しました。
終盤には、物語の展開がわかり「納得!」して解き切ることができました。
この1ヶ月は国語月ということで、がんばって読み続けてもらおうと思います。
国語といえば。。。
中学時代の私は「日本語しゃべってるし、国語なんて勉強しなくてもいいでしょ!」や「国語に正解なんてないから点数悪くても気にしない!」...のような感じで全く勉強していませんでした。きっと、今の生徒たちも同じように感じているのではないかと思います。
「どのように読んでどのように感じるのか」は本来、個人の自由なものです。
同じ文章を読んでも、感銘を受ける人とそうでない人がいますよね。
どんな文章が好きで、どんな本が好きかは、人によって違ってくるものです。
では、なぜ「国語」という試験科目があるのでしょう???
それは、「文章を正確に読み解く力」と「意見を正確に伝える力」をつけるためだと思っています。
「文章を正確に読み解く力」とは、相手の気持ちを理解するために必要な力です。相手の言っていること、相手が伝えたいことを正確に読み取ることでその人との関係がよりスムーズになります。
「意見を正確に伝える力」とは、自分の気持ちを伝えるために必要な力です。自分の想っていることを言葉にして発することで、自分の気持ちを分かってもらうことができます。
つまり、国語とは「相手の気持ちを正確に理解し、自分の気持ちを正確に伝える」コミュニケーションには欠かせない力なんですね。これは、「空気を読む力」といってもいいかもしれません。
だから、国語の試験とは「文章の内容を正しく理解できていますか??」という問いかけなのです。
KYになっていませんか??ということでもあるのです。。。こういうとちょっと嫌ですね(ー ー;)
国語の勉強は、コミュニケーションに必要な力を鍛えているのだ!、、、今ならわかります。
中学生のころの自分に伝えてあげたいです。。。なぜしっかりやらなかったのか(T T)
私自身、「主語と述語に気をつけて読む姿勢」を知り、国語の読み方が変わりました。
主述に分けると、なんて単純な文章なんだ!とびっくりします。。。もちろん受験を経験してきたから読む力はそれなりについているというのもありますが、最初から読み方を知っていればもっと違った結果が得られたと思います。
だからこそ生徒たちには、その国語の文章の読み方、捉え方をしっかりと身につけてほしいと思っています。分析法は、文章をより正しく理解するための方法です。
「主語と述語を関係を考えなさい!」と、口をすっぱくしていうのも、「何を聞かれているのか具体的に説明してください」と意地悪く聞き続けるのも、それが文章を正しく理解するために必要なことだからです。
難しいかもしれない。でも、簡単に思えてくる日がきっときます。
だから、嘆きつつも(笑)、たくさんの文章を読み続けてもらおうと思います^^
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