テスト前の雰囲気は、真剣味そのもの
気持ちが上向きの空気は、とても気持ちのいいものなんです。
ふざける生徒もいないですし、
ちゃんとやらない生徒もいません。
そんな雰囲気を醸し出す中高生の中で勉強する小学生というと・・・
そんな雰囲気にちょっと圧倒されながらも、自分の学習をしっかりと進めています。
当たり前のことですが、学校とは違う「無学年の教室」
上級生や下級生、他の学校の生徒、もちろん小学・中学・高校とさまざまな学年が、
それぞれの学習や目前のテストに向けて、必死になって学んでいます。
そうした雰囲気の中での学習は、何をもたらしていくか?
それは「伝統」なんです。
まだ発足1年の「みかんせい」、西校でいえばまだ3ヶ月ちょっとの「みかんせい知創」が
伝統という言葉を使うのはちょっとオコガマシイかもしれませんが、こういう日々の積み重ねが校舎の雰囲気となり、校舎の伝統となり、次の世代への繋がっていきます。
校舎の雰囲気は講師が作るもの
生徒とともに…ではなく、生徒を巻き込みながら作るもの
主導権は講師です
しかし自由に自らの学習を進めるのは生徒です
そのバランスの上に成り立っているのが、みかんせい知創という学びセクションです
とはいえ、この自由は無制限の自由ではありません。
この自由を享受できるものにはある条件があります。
それは「真剣に自分を伸ばす学習をしているのかどうか」です。
無駄な時間を過ごすことなく、真剣に学習に取り組んでいるかどうか?
そんなことははっきり言って、本人にしかわかりません。
生徒本人が、真剣です、といえばそうなのでしょう。
しかしそうならば、成果として現れたモノに対して、自信と誇りを持てるはずです。
モノとは、まとめノートであり、小テストの結果であり、定期テストの結果ですが、
その中で最大のモノは「達成感」です。その達成感からくる「喜びと悔しさ」です。
決して「結果」に対する喜びや悔しさではないのです。
達成感:やりきった者だけが持つ感覚
やりきったからこそ得られる喜び
やりきったからこそ得られる悔しさ
たまたま取れた得点を悔しがってはいけません
たまたま取れた得点を喜んではいけません
確固たる努力、自らが納得する学習を積み重ねて得た結果のみに対して、喜び、悔しがればいいのです。
しかし…やりきった者はそういった一喜一憂はしません。
なぜなら、どんな結果でも受け入れる覚悟が、やりきった者にはできているからです。
喜びも悔しさも一瞬の出来事。
その一瞬が一生になるかどうかは、その出来事が起こる「前」にはほぼ決まっています。
みかんせいの伝統は、こういう毎日の中で作られていきます。
だからというわけではないですが、
テスト前だからといって殊更雰囲気が変わることは…実はありません。
ただ目前に「わかりやすい」目標があるので、生徒の危機感がいつもより多く感じられることはありますが、おそらくただそれだけです。
みかんせいでの学習は、毎日が真剣です。
生徒指導に対しての妥協は一切ないです。
真剣に学習を求める者には、真剣に応える。
これがみかんせいの学習指導の「根本」です。
この根本の連続性が、伝統を生み出し、校舎を作っていくのです。
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