旧英明塾時代から始まり、現みかんせい知創となってからでも続けている学習スタイルが「個々の学習を一人で進める個人学習」です。
一言で言うと「個別学習」となります。
全体授業との違いは明白で、個々の弱点や伸ばしたい教科は個人で違うものですし、理解スピードも違います。全体授業は、多くの生徒たちに一律のものを提供することには適していますが、それだけ個人を見られない弱みがあります。ラクな分だけ、集中と個別性が削がれます。
旧英明塾時代には、全体授業もしていました。少人数クラスにしていましたが、やはり全員に一律のものを提供していたので、やはり授業に対する集中は少なかったのです。
しかし、テスト前になると、個々人の学習に入ります。そのときになると、個人学習なので、生徒たちは「自分たちの学習」を真剣に、集中して行い、私語やおしゃべりなどは一切なく、シーンとした空間の中には、書く音と講師が生徒に教えている声以外はまったくない学習空間になりました。
「やればできるじゃん」といつもそんな光景を見ながら、思ったものでした。今から14〜15年前のことでしょうか。
まだ駆け出しのペーペー講師だった僕でしたが、こういう状態をいつもできないものか?と考え、あるときふと思ったのです。「授業をやめよう」
現在の個別学習スタイルが生まれた瞬間です。
それで僕は当時、英語講師だったのですが、僕の受け持ちクラスだけで全体授業をやめることにしました。とはいえ、いきなりすべてやめた訳ではなく、1ヶ月の授業の中で、1週目だけ文法授業を行い、残りの3週をすべて個人学習に変えたのです。習いたての文法の定着学習をする生徒もいれば、戻り学習する生徒もいました。中には英語ではなく、数学や理科をする子もいました。
多くの生徒のウケは上々でした。しかしいわゆる全体「授業をしない」ことは、保護者にとっては「勉強を教えてくれない」ということになり、事前に面談などで説明をしていたのですが、受け入れていただけないこともあり、実は2ヶ月で10名を超える退塾者を出しました。過渡期、といい続けて当時の執行部を説得しましたが、まだ講師歴3〜4年の若造です。内心はドキドキものでした。結果が出なければ、もう終わりです。もしあのとき結果が出なければ、僕は今ここにはいないでしょうね(笑)
そうしたスタイルに変えた最初のテストが、後期中間テストでした。結果は・・・あまり記憶にはないのですが(笑)、悪くなかったんだと思います。その後退塾者がでた記憶がないもので・・。あっ、意外となんですが、卒業までいた生徒よりも、案外やめていった生徒の方が覚えているものなんです。まぁ数が圧倒的に少ないというのもあるのですが、自分の中の反省材料として覚えているものなんです。もちろん、頑張った生徒はそれ以上に覚えていますけどね!
しかし、本当に「成果」が出たのは、年が明けて2月。このときの記憶は今でも鮮明です。
西校の近くのR中学校に通う成績上位ランクの生徒たちが大挙して入塾希望としてやってきました。今でも名前を覚えいる生徒たちで、その何人かとはFacebookでたまにやりとりしています。10名まではいきませんでしたが、それに近くいたように思います。その生徒たちが中2生の時です。
なんでここを選んだの、と聞くと、自分の勉強をできるって聞いたから、とのこと。
もちろんそのときに通っていた生徒の口コミもあり、どんな塾なのかを体験してからの入塾になるのですが、当時は1日しか体験授業はしていなく、それでも体験者全員が入塾しました。この年の2月が、現学習スタイルを確立させたと言ってもいいでしょう。
翌年度、西校舎開校以来の生徒数小中学生のみで124人。まだ少子化になる前くらいの時期でしたが、高校生も含めると200人近い生徒数が西校に在塾していました。今から見ると夢のような数字です(汗)。まぁ子どもの数も多かったというのもありますし、今でこそ多くの塾さんも行っている個別学習スタイルですが、あの頃は英明塾が少なくても帯広十勝では最初だったので、珍しさもあり、そのようになったんだと思います。感傷に浸ることはないですが、やっぱりトップランナーであることは大事だなと思います。
さて。。思いがけず、昔話をしてしまいましたが「テスト前の真剣さを通常の学習の中でもできないものか」という思いがスタートになり、自分で学習できるテキストが欲しい考えて「一人でできるテキスト」を作り、テスト前専用問題集「スーパー問題集」を作り、国語の分析読みやノートまとめ学習へと繋がっていきます。今の「みかんせい学習方法」ですね。
勉強は、自分で自分を伸ばす方法の一つだと思います。
勉強は、誰にでもできる自分を鍛える方法の一つです。
そして勉強は、自分の成長を最も実感できる生き方です。
何を学んできたか?
個人を作る最も根幹となる要素の一つです。
生まれながらの要素はどうしようもないですが、
後天的な「学び」は自分でいくらでもどうにかできます。
僕も含めて、まだまだ学びたいこと、学び足りないことがあります。
まだまだ「みかんせいじん」な僕たちです。
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