みかんせいの教室は、何も仕切りがないので、
無学年クラスのようになっています。
ですから、時間によっては小学生から高校生までが、
同じ空間で勉強することもよくあります。
さらに、生徒によっては小学生から高校生まで通う子もいます。
ですから、古参の生徒から昨日入ったばかりの生徒が、
同じ時間で勉強することもよくあります。
教室の仕切りがないということは…
誰かが褒められるとそこにいるみんなが聞くことになり、
誰かが叱らられるとそこにいるみんがが聞くことになります。
そんな様子が保護者様の耳に届くこともあり、
面談のたびにネタになったりすることもあります(笑)
そしてもちろん…
「みんな」というのは「みかんせいじんである生徒達」ではあるのですが、
長く通っている生徒の中には「昔よく叱られた生徒」もいるわけです。
そして、叱られている誰かを見て、
その子は思い出すのですね…
「俺もよく、叱られてたなぁ…」と。
昨日もそのような光景がありました。
叱っているのは僕、山田
叱られているのは新中3生
見ているのは旧中3生で現高1生
叱っている内容は…「本気で勉強しないならここに来る必要はない!」
…えぇ、
毎年どこかで繰り広げられる光景といいますか、
セリフといいますか、
年に何度かは、誰かが言われてしまう文句です。
言いたくはないんですよ、本当に。
こんなことを言うための時間はね、
とてももったいないと思いますし、
言われる方も言う方もストレスですよ。
だけど言わなきゃいけない時もあります。
目を啓くって訳ではないのですが、
このままいくとどうにも「目標校の合格」が見えてこない場合は、
「勉強していく生徒自身の意識を変える」ことが必要になってきます。
伝えるべきは言葉ではありません。
しかし言葉しか伝わらない場合もあります。
そして言葉しか返さない場合もあります。
だけど言葉ではなく意志と行動と結果で示さねばならないんです。
それが本気で動き、本気で考えることだと思っています。
つまり自分で自分を成長させる本気の行動ー勉強するーです。
「○○高校へ行きたい」といえば、行ける訳ではありません。
相応の学習量と質がなければ、行けるものではないのです。
この「相応の学習量と質」には個人差がありますが、
誰にとっても必要なことには変わりありません。
この「相応の学習量と質」が不足している生徒に対して…叱るのです。
やるのは自分
やればやっただけの結果が出る
サボるのも自分
サボればサボっただけの結果が出る
その結果を出したのは、他の誰でもない「あなた自身」なんです。
この結果は「あなたが出した結果」であり、他の誰かが出したものではないのです。
まぁときには…
指導者の指導力不足で「努力に不相応な結果」が出ることもあるので、
一概に「あなたが出した結果」とは言えないこともあります。
そういうときは___「あいつが悪 いっ!」
と責任転嫁することも…アリですけどね(笑)
その「あいつ」になっていたら…m(_ _)m(すみません!)
というのも、全部が全部「本人の責任」ということでもないですから、
その辺りは「なんでも背負込む」ことはしなくてもいいかなと思います。
ただし、多くの場合は「自分がやってきた結果」であることは間違いないです。
だから、よくよく自己分析をしなければ、自己成長とはならないのです。
叱ることは、結局のところ「今のあなた自身の状況をよく見て、なぜこうなっているのかを考えよう」というきっかけに過ぎません。
このままの学習の量で目標校に合格できるのか
このままの学習の質で目標校に合格できるのか
このままの学習速度で目標校に合格できるのか
他の誰でもない、やるのは自分自身でしかない
そういう「やるのは自分である生徒」を支援するのが私たちの役割です
そういうきっかけを示していくのも私たちの役割です
ということで、”たまに”どこかで誰かを叱る…こともあるのです(たまにですよ!)
なんてことを繰り返しながら、
僕も生徒たちもたぶん成長してきたのですが、
こんな”叱られ”経験をしてきた現高1生と「昔の自分を思い出した」なんて話をしながら、
新しく始まった高校生活の話をする。
中学時代とは違う部活に入った彼は、この夏に”部活の仕事”なるもので、広島に行くそうです。
どんな仕事なのかはわからないですが、高校生になり新しいことと出会い、新しい考えを持つことで、彼はまた成長していくのでしょうね。
そんな未来の話ができるのも、みかんせいの無学年、仕切りなし教室のなせるワザかなと思います。
それではまた、別の機会にお会いしましょう!
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