休み明けなので…

みなさんのGWは如何だったでしょうか?

 

みかんせいは「講師メンバーの強い、強い、とても強い意向と希望」により、

10連休となっていました。

 

僕は反対したんですよ!

いやいやさすがに長いだろうと…

5月2日はやってもいいんじゃないかと…

なんなら暦通りでもいいんじゃないかと…

 

しかし…

 

こんだけ働いでいるのだから、休みくらいくださいよ!

あなたはちょいちょい出て行くけれど、私たちはずっと校舎にいるのよ!

連休くらいくれたっていいじゃない!

この日をどれだけ楽しみにしていたのか、わかっているの!

 

…というような、強い意見が大勢を占め、

僕の意見など何も通らず、このような連休となってしまったのです…

 

あぁみなさん!

こんな社長でごめんなさい!

 

 

というようなことは、あったりなかったりではあったのですが、

まぁこの業界にとって、GWの時期は新年度の生徒募集も落ち着き、

学校もなんとなくふわふわしている時期ですから、

心身ともに休息を取るにはいい時期なんです。

 

とはいえ、ただ休んでいただけではなく、

生徒たちに宿題を与えた我々です。

もちろん私たちみかんせいメンバーもそれぞれの「学び」をしていました。

詳しくは…各講師にお尋ねください(笑)

 

前半は娘たちと旅行に行き、

中盤は娘の誕生日祝いや実家の手伝い、念願のダッチオーブンでの調理を楽しみ、

後半はちょいと新しいことを見聞する旅に出ていました。

まぁ旅というよりも実体験学習のようなものですね。

 

何を学んできたかは、ここでいうとネタバレになるので言いませんが(笑)

おいおい指導の中で発揮していこうかと思っています。

 

 

そもそも学びというのは、個人的成長を促すためにするためであり、

結果として誰かの役に立つものになるものだと思います。

 

叶えたい理想があるなら、叶えるためには何をするのか?

それを考え、実行するだけのことです。

 

そして、なぜそのことを「理想」とするのか?

その理由を知ることも大事なことです。

 

つまりそれは「自分とは何でできているのか」を知ることでもあります。

 

「こんなことをやりたい」と思った時に、

なぜ自分はこんなことをやりたいと思ったのか、

こんなことをやりたいと思う自分になったのはどうしてなのか、

なぜ自分は今こういう自分になっているのか、

こんなことを知りたいと思う自分になったのはどうしてなのか…

 

今の「自分」になっているのは、

さまざまな環境と出会い、そこで感じたことや考えたことが

今の「自分」を作り上げています。

 

しかし、それだけじゃない「何か偉大なもの」の導きや

現在の自分だけではどうしようもない大きな過去からの因果

しかし、それでも変えることのできる現在の意思と

帰ることのできる場所がある安心によって

今の自分でいいのだと思いながらも、

もっと理想的な自分になっていきたいとも思う…

 

そういったことを「知りたい」と思うからこそ学び、

自分の理想を知りたいがために考え続け、学び続け、動き続けるのだと思います。

 

スタートはいつも「自分」

だけど人は「自分」をよく知らないんですね

おそらく最も「考えない対象」だからなんです

もっというと最も「知ってるつもり」になっているからだと思います

 

知ってるつもり…

「僕は(私は)こうだから…」ということによって、

いつの間にか自分に限界を作っている。

それは多分に「無意識的」な行動にもなっている。

 

なぜ「無意識的ストッパー」が出来てしまうのか?

それは「知ってるつもり」になっているので、

「理想とする自分」を考えないからだと思います。

 

理想とする自分を考えない、知らないと、このままでもいいと思ってしまいます。

そう思った瞬間に「無意識的ストッパー」が出来てしまいます。

 

理想とする自分を知るためには

やりたいことは何かを知る

 

やりたいことを知るためには

やりたくないことを知る

 

この場合の「知る」は「考える」と同じことになりますが、

こういう時の「考える」は自己中心的でいいのです。

なぜなら…私たちが、あなたが、「世界の中心」だからです。

 

あなたは、いつも「あなたの世界の中心」です。

なぜなら、いつも「あなたの心の中に答えはある」からです。

あなたがしたいことを知っているのはあなたしかいません。

あなたがしたいことを叶えることができるのもあなたしかいません。

あたたの理想を叶えるために行動ができるのもあなたしかいません。

 

そして…

 

あなたの理想を叶えるための行動を支援するのが私たちなんです。

あなたから「無意識的ストッパー」を除去するのも私たちなんです。

その方法が「学ぶこと」であり「知ること・考えること」なんです。

 

自分とは「自らと他人を分かつもの」であり、

自分とは「自らが何でできているか分かるもの」でもあります。

 

自らは「水から」を意味し、

水は「常に流れるもの」であり、

それは「無常」を意味する。

 

常に変わりゆく自分を知ることはとても難しいものです。

だからこそ人は生まれてきた理由を知りたいと思うのであり、

人に生まれてきた目的を知りたいと思うのではないでしょうか。

 

 

…というようなことを、

ふと尾崎豊さんの「永遠の胸」という曲を聴きながら思ったGWのある日でした。

 

もう25年くらい前になるんですよねぇ、亡くなってから。

それでも色褪せることなく、聴くと今でも胸に沁みます…。

 

 

それではまた、別の機会にお会いしましょう。