親として…

さて話を戻します。

「県と学校と家庭の連携によって、子ども達の学びを支援する」ことで、子ども達の学力を伸ばしてきた秋田県から学ぶことはたくさんあるでしょう。

特に「家庭での過ごし方」と「親の考え方と行動」はとても大事です。

小学校時代において、それは県で決めたことよりも、学校で先生が言うことよりも、圧倒的な「影響力」がありますからね。

 

最近では「家でやらないことを先生に押し付ける」的なことをする親もいますし、

自分の意にそぐわないことをする先生を責める親もいます。

子ども中心主義なのか、自分は悪くないから言い返してこない先生を責めるのか…。

いわゆる「モンスター系」の親が増えています。

赤いボールでも投げたいくらいでしょうね。

 

ありがたいことに、みかんせいに通っていただいている保護者様にはそういう方がいらっしゃらないので、とても安心して日々の指導をさせていただいでいます。

本当にありがたいことです。

 

先日、教育実習中の卒業生と話したのですが…

やはりそういう親はいるようで、

彼がいた4週間の中でも何件ものお電話があったそうです。

中には「うちの子がプリントをもらっていないようなのですけど、どういう配り方をしているのですか」と電話をかけてきたそうです。

小4生ですよ!もらってないならそう言える学齢でしょう!

親がそんなことをする姿を見たら、子どもはどう思うでしょうね?

「そうか、嫌なことあったらすぐに文句(質問?)言えばいいんだ」と思いませんかね。

 

家庭での教育は、当たり前ですが絶対に必要です。

家庭での教育は「子どもを見ること」です。

勉強でも普段の生活でもとにかく「子どもを見ること」です。

話をすることも大事ですし、一緒に何かをすることも大事です。

 

忙しいとは「心を亡くすこと」と書きます。

すごく個人的な意見で、これを言うと反発されるかもしれませんし、

嫌な思いをさせてしまうかもしれませんが、僕はこう思っています。

「忙しいと言うのは、とても無能なことだ」と。

最近流行りでいうと「二流」というかもしれませんね。

「心を亡くしている」ことを殊更ひけらかす必要などないです。

ましてや「心を亡くした状態」が続いているのは不健全で、不健康です。

「心を亡くした」ままで、子どもに接することなどできますけど、喧嘩にしかなりません。

面倒がって、子どものいうことを聞くか、自分のいうことを聞かせようと子どもに怒りをぶつける、

そんな寂しい二択にしかならないように思います。

 

しかし実際に「どうにも余裕がない時」は必ずあります。

僕にもあります。

そういう時はもう「誰かに頼る」しかないと思っています。

おそらくその頼る相手が。。。「子ども」本人なのではないでしょうか?

子どもに対して「すみません」「ごめんなさい」を言うこと。

子どもに対して「ありがとう」「助かります」を言うこと。

変な言い方になりますか「親」という固定観念を捨てて、「親」というフタを捨てて、

「親」の常識を捨てて、いいのではないかと思っています。

親だからこうする!親だから子どもを守る!

という考えは捨てていいのではと思っています。

そういう「呪縛」が、心を亡くすことになっているように思います。

 

子どもの「為」になることは何でもしたいと思うのが親でしょう。

というのはちょっと違うと思います。

人の為には「偽」ものです。

なぜなら「人の為にすることは、人の為(偽)であって、それは結局、自分の為になるから」です。

「情けは人の為ならず」とは「情けは、巡り巡って自分の為になる」という意味です。

賢明な皆さんには今更ですが…「情けは人の為にならない」という意味ではありませんよ。

 

だから「あんた(人)の為にやってるのに」というのは「偽」なんです。

 

親と子の関係は、一生涯変わりません。続きます。

親にとって子どもは世界で一番かわいい無償の愛情の対象です。

僕も親です。

なので、色々と子どもに思うことはありましたが、

今は彼女たちが「どうしたいか」にはそんなに関心はありません。

そういうと冷たいなぁと思われるかもしれませんね(汗)

でもこういうのは彼女たちが考えることであって、親である僕が考えることでないと思っています。

僕がすべきことは「彼女たちが、こうしたいと思った時に、そうできるような人になれる教育をしておくこと」だと思っています。

簡単に言うと土台を作っておくことです。

だから「健康で、人に優しく、自分の心に正直な行動ができる人」であればそれでよいと思っています。

そのためには…びっしびし叱りましたし、びっしびし勉強面も鍛えました。現在の進行形です。

でも、土台ができるとあとは自分で考えてやっています。

学習の習慣化は何歳からでもつきますが、小さいころの方がつきやすいのは間違いないです。

 

習慣化っていうのは「もうやらないと気持ち悪いよ」くらいになって初めて「習慣化」と言えるものであり、「疑いなくやること」になって初めて習慣になったと言えるものですからね。