衝撃的な言葉を発した生徒がいました。
算数文章題という宿題がありまして、
しばらく遠くから見ていると、あれまーすっかり騙されている「時速、分速の混じった問題」
きっと学校でも教えてくださっていると思います。
「こういう問題には気をつけるんだぞ〜」
「単位を変えるんだぞ〜」
でもそれ以上に彼ら彼女らの中に入っているのは、
「「みはじ」を使えば解ける」という言葉だけなのかもしれません。
確かに公式的には「道のり=速さ×時間」「時間=道のり÷速さ」「速さ=道のり÷時間」なのですが、、、問題の中には、kmとmが混在していたり、◯分で◯km、時速は?という問題だったり、単位を揃えてからでないと使えないものばかりです。
それにまんまとひっかかるんですね。。。
公式に当てはめてみても答えが出てこない。。。
そして、魔の一言「わかんな〜い」
そんなときは、
どんぐりでやっていいよ。
むしろ、どんぐりみたいにやってごらん。
文章一つ一つ読んでやってごらん。
教えたことは「しっかり読んで、図や簡単なコトバで表しなさい」だけです。
楽をしたいというのは当然の気持ちで、
その気持ちから工夫することに考えが巡っていくので、ある意味では良いことなのですが、
工夫なく、考えなく、「楽に解きたい」は違うかなと思います。
公式だけを覚えて、何も考えることなく当てはめて、答えがちがうと「わからない」
そんな悲しい毎日は嫌になっちゃいますよね。
「どんぐりでやったらできたーーー!!!
学校の勉強も最初っからこうやって教えてくれたらわかりやすいのに〜」
結果的に同じ計算(式)になっているにもかかわらずです。
子供たちにとっては、
公式を使うより自分で考えて解く方がはるかにわかりやすいということなんです。
みんな考える力を持っていて、その考える力を引き出す学習をしていきたい。
この子のコトバで強くそう思いました。
学校のだからこう解かなきゃだとか、
◯◯をやってはダメだとか、
こういうことがなくなっていけば、
もっともっとみんなでいいものを創り上げていけるのになと思います。
公式を使うことや簡単な方法を知ることは大事なことだと思います。
でも、それらを使う前に「どうして」使えるのかを知っておくことも大事かなと思います。
「公式を覚える」だけでは足りなくて、「公式を使いこなす」までレベルをあげていくんです。
公式だけでは太刀打ちできない状況に対して、公式を使える状況にしていくことによって、
「文章題ができない」という嘆きは少なくなっていくのかなと思います。
「考えて解きなさい」と言葉で言ってもなかなか伝わりません。
考えるための方法を伝えてあげることによって、子供たちは迷うことなくトライできるのかなと思います。
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