パースペクティブその①

皆さんはパースペクティブという言葉を知っていますか?

これは美術用語で「遠近法」という意味です。

 

このパースペクティブという言葉をかの有名な哲学者ニーチェは…

 

「世界は自分自身のそれぞれの認識器官が生み出す虚構である」

 

と述べています。

はて…?

ナンノコッチャ?

ですよね(笑)

最初聞いたときは僕もよくわかりませんでした。

まぁ、今でもそんなにはわかっていないのですが(笑)

 

このことをちょっと”超訳”すると…

 

「世界は自分自身の認識がつくった創作である」

 

ということになります。

どういうことかというと…

今、僕が見ている世界と

今、あなたが見ている世界は同じではない、

ということです。

 

例えば…

「君の名は」を見ても

「おもしろかった」という人もいれば

「よくわからなかった」という人もいれば

「まったくおもしろくない」という人もいるということですね。

 

余談ですが、

僕はとてもおもしろくて、DVDが出たら買おうかと思っています。

新海誠監督は「秒速5センチメートル」からのファンです。

 

同じはずの「君の名は」を見ても、

僕が思うことと

あなたが思うことは決して同じではない。

なぜならそれは…

「自分が作り出した作り物」でしかないから、です。

個々人によって「見ている世界」は違うのですね。

 

 

 

なぜ僕がこんな話をするかというと、

同じような出来事に対しても

とても楽観的に捉える人もいれば

もうこの世の終わりかと思うくらいに悲観する人もいます。

その違いは何なんだろうと考えたからです。

 

挫折や難題に直面したときに、

そのまま破綻してしまう人がいる一方で、

穏やかで楽観的な自身を保ちながら問題を解決できる人もいます。

 

こういう人はどこが違うのでしょうか?

破綻してしまう人は行き詰まると不安になり、

自分自身を疑ったり、苛立ったりしてしまいますよね。

 

僕が思うに最大の違いは、

物事の見方、感じ方、振る舞い方であり、

人として(大人としてでも、子どもとしてでもですね)

直面する浮き沈みに最終的にどう対応するかは、

自分の身に起きた出来事や、

それに対する心境の変化についてのパースペクティブにかかっています。

つまりは「自分の認識が生みだした創作」の違いということです。

 

数年前、娘が人形で遊んでいたときの話です。

娘はその人形が大好きで、

謎の魔法にかかり数年に一度しか歳を取らないので未だに1歳未満らしいです。

もう人間界では10年以上経っているのですが…。羨ましい限りですね(笑)

 

さて、ある日その人形が「失踪」してしまう事件が起こりました。

 

すると娘は…、まるで世界が終わったかのようになってしまいました。

自分にはまだ食べ物や衣服があって愛情にも恵まれ、

十分に世話をしてもらっていることが認識できなかったのです。

ただ単にどこかに置き忘れただけだったのでしょうし、

 

家の中から無くなるはずもありませんが、

そのことも認識できなかったのです。

もちろん僕は、その人形が大して重要でないことは分かっています。

しかし彼女には、その人形は自分の命と同じくらい大切なものです。

 

この違いは…

僕には僕のパースペクティブがあり、

娘には娘のパースペクティブがあるからです。

 

 

 

…続きはまた明日に

 

より豊かな教育のために

山田でした。