さて続きです…
実はこれは、大人でも同じですよね。
何か悪いことが起きたとき、
私たちは、自分たちを苦しめ、心配にさせていることは
実は大して重要でないと頭の中では理解しています。
しかし実際には、冷静かつ客観的に頭が冴えた状態、
辛抱強い姿勢を保つことができず、
腹を立てて焦り、自信を失ってしまうことの方が多いのです。
食器洗いのときにお皿が滑って割れてしまったときや
2回連続で何かをしでかしたときなど
「あぁ今日は運のない日だ・・」とか
「なんでこんなことが起きるの・・」とか
思ってしまいがちですよね。
こんなとき、あなたは冷静さを維持しようとし、
これまでに教えられたことを実践しようとするかもしれません。
深呼吸したり、
ポジティブなメッセージを復唱したり、
悪いことがあったらいいことがあると思ってみたり…
こういったことは、些細な問題のときには効果があるかもしれません。
しかし、人生を左右するような難題に直面したとき、
大人として、社会人として大きな困難に見舞われたときには役に立ちません。
イライラしないようにと自分に言い聞かせても解決にはならないのです。
この場合、落ち着いて自分をコントロールし、平静を保ち、
自信を失わずにいることは大切ですが…
そもそも初めから興奮せずに済むのなら、
その方が望ましいですよね。
自信喪失や激怒、動揺、不安になるのを抑えようとするよりも、
最初から「そう感じなければ」いいわけです。
パースペクティブがあればそれが可能になるのです。
パースペクティブがない状態は、なくした人形を探しながら、
まるで世界が終わってしまったかのように動揺している娘と同じです。
数時間、あるいは数時間も経つと悲しみは収まり、
そもそもあんなに取り乱す必要はなかったのだと気が付きます。
まったくあれだけ喚いていたにも関わらず…。
おかげで食事に行くこともできず…(笑)
つまり、時間の経過が別の「パースペクティブ」をもたらし、
状況をより明確に把握することができるのです。
人形をなくした娘の世界は、
人形がなくなった悲しい認識が生みだした創作から
人形がなくても生きていける認識が生みだした創作に変わったのです。
後日談ですが…
その人形はベッドと壁の隙間に挟まっていました。
まったく探し方が下手すぎます…。
その瞬間、また「人形がないと生きていけない認識の創作」に逆戻りです…。
さて、皆さんも、どうしても欲しいと思っていたもの、
どうしても始めないといけないと思っていたダイエット、
どうしてもやらなくてはいけないと思った仕事が、
後で振り返ってみると自分が考えていたほどではなかった、
という経験があるはずです。
あれだけ時間をかけてネットで調べたり、気にしていたものが、
今ではそれほどでもなくなっている。
あれだけハマっていたものが、今ではその理由すらわからない。
そんな経験ですね。
あるマンガがアニメ化されたら、思わずそのマンガを大人買いしてしまうような…。
あるダイエット方法が紹介されたら、その食材をスーパーで大量購入してしまうような…。
あるCMで可愛いと気になった子を、ググって検索して名前をチェックしてしまうような…。
しかし今ではもうさっぱり読まないし、買わないし、そこまで気にしないし。。。
そんな経験です。
えっ?
決して僕の個人的経験というわけではなく…(汗)
これは時間の経過によってそう思えるようになったということです。
ある物を手に入れられなければこの世の終わりだと思っていたのに、
手に入れていない今、なくても幸せに過ごしていたりするでしょう。
少なくとも、自分が思っていたほどの影響は感じていないはずです。
このように、パースペクティブを転換する方法が見出すことができれば、
そして自分のパースペクティブを把握できていると分かれば、
今日の出来事を未来の視点で捉えることができます。
「本当に大事なことは何か」をすぐ、正確につかむことができます。
「落ち着いて平静を保ち、
その場その場に集中し、
自信を失わず、
忍耐力を持つように」
と自分を追い込む必要もありません。
パースペクティブが変わることによって、
体験そのものが大きく変わるのです。
世界を見るフィルターのようなものです。
そのフィルターが、仕事の成功や失敗を大きく左右するのです。
なぜなら、社会人として、大人として、
何をすべきで何をすべきでないか、
どんな仕事をすべきで何をすべきでないかの決断を下す際に、
どんなパースペクティブを持っており、
あるいは持っていないかが結果を大きく変えるからです。
これは「”自分”として生きること」と同じ意味であり、
「”自分の芯”となるものは何か」を知ることでもあります。
…続きはまた明日
より豊かな教育のために
山田でした。
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