さていつの間にか6回目です。
こんなに時間が空いたのは…いくつかの手違いです。
前回は…「自分が求めていることが何かを知る」こと。
そのためには、「逃げる型」の思考から、「目指す型」の思考になるために、思考そのものを鍛えることが大事であり、その鍛える方法が「自分が求めているものが何かを」常に問い続ける、という話でした。
では、どうすれば更なるパースペクティブを得られるかというと…
自分のことをよく知っている人間が新たな視点を与えてくれることがあります。
以前、もう20年以上前の話になりますが、ある友人と話していたときのことです。
すでにお話ししたように、時間の経過に加えて、友人や尊敬する人で自分のことをよく知っている人も、まったく違うパースペクティブをもたらしてくれるものですが、その友人があることについて僕に意見を言ったのです。
具体的な内容は伏せますが、彼は、僕のものの言い方についてある指摘をしたのです。
お前の言い方は上からものを見て言う言い方だ、と。
僕はそんなことはないと言い返したのですが、正直そのことはいまでも覚えています。
その後、人との接し方や心理的に人を動かす方法などに関する本を何冊か読みました。
それでも自分の考えや行動にはさほどの変化は見られませんでした。
しかし、ある本を読んでいると素晴らしい実践方法が書かれていました。
もしそれを実行すれば、そのとき悩んでいた問題を解決できるように思えるものでした。
しかし、僕はどれも実行までには至りませんでした。
なぜ実行しなかったかについて考えてみると、きちんとした理由はありませんでした。
本当に必要性を実感していなかった…というよりも、他の本を読んで別のことに目移りしていただけなんです。
つまりは…「これのほうがいいんじゃないか?」「こっちのほうがやりやすいんじゃないか?」とただただむやみに何かを探していただけなんです。
そして気がつくのです。
実践しなきゃ何も変わらないと。
このことに気がついたときに、僕の中で方向転換が起き、パースペクティブが一変したのです。
自分の行動パターンを省みるようになった結果、最初に思っていたのとは別の考えが生まれるようになったのです。
その友人から言われて、3年以上経過した後でした。
僕の愚かな経験からみなさんが何かを学んでくれると幸いです。
というわけで、みなさんにも同じ問いを投げかけてみたいと思います。
その上で、みなさんが自分自身の答えを見つけるのを手助けします。
その質問というのは…
「あなたが考える理由は自己正当化ですか?それとも本心から感じたことですか?」
これはどんなことにも当てはまります。
何かをした、もしくは何もしなかったことに対するあなたの理由は本当の理由でしょうか?
それとも自分を正当化するためのものでしょうか?
今回はこのへんで。
次回は最終回です。
より豊かな学びを…
山田でした。
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