甘やかされると…
「甘える」ことというのは、その相手をよほど信頼していないとできることではありませんよね。
まぁ世の中には「甘え上手」な人もいて、
甘えられて喜んでいる男(女)もいますけど…
それはときには「テクニック的」なところもあるものです。
どういうシチュエーションかは、ご想像にお任せします(笑)
さて、子どもが「甘える」ときというのはどんなときでしょう?
でもその前に「甘やかす」と「甘えを受け入れる」ことのちがいについて考えていきます。
「甘やかす」とは、必要以上に子どもの世話を焼く余計なヘルプのことです。
自分でできることを、わざわざ「心配だから」という理由で親が手を出してしまうことですね。
これだと子どもは「親がなんでもやってくれる」と思ってしまいます。
「親」が「他の大人」に変わっても、きっと同じように思うでしょう。
こうなると「自発的に動かない人」になってしまいます。
黙っていたら誰かが何かをしてくれる
こういうことを”期待する”人になってしまいます。
そういう「甘やかし」で育った子どもは、
大人になって、社会人になったときにいわゆる「指示待ちな人」になります。
指示待ちよりも酷いのは、自分の仕事を他人がしてくれると期待し、
さらにしてくれなかったら「なんでしてくれないの」と思ってしまう。
こういう人は、社会でも、会社でも重用されるでしょうか?
甘やかすことは、ダメな大人にする近道となってしまうでしょう。
甘えを受け入れる
「甘えを受け入れる」ことは、子どもの求めに応じて愛情で満たしてあげる必要なヘルプです。
大人でも他人のヘルプが欲しいときがあるように、子どもにも親のヘルプが欲しいときがあります。
幼児期から小学校低学年となると、子どもは親から離れて行動する時間が増えます。
すると、親も知らない、あんまり言いたくない「嫌なこと」に出くわすこともあります。
友達とケンカしたとか、先生に叱られたとか…
そんなときは親に「甘えたく」なるものです。
私たち大人でも凹んだときに「癒されたい」と思いますよね?
それと一緒です。
大人になると、なかなか家では癒されませんが…
(ん?僕だけですか)
親に甘え、甘えを受け入れてもらう経験を重ねることで、
子どもは自分で安心感を作り出したり、
自信を身につけるのです。
これが自己肯定感を生み出すのです。
でもそんな「嫌なこと」があって、
信頼している親に甘えようと思ったときに…
「もう忙しいんだから」とか
「もう○○才でしょ」とか
言われると、
きっと立つ瀬がなくなります。
つまり「信頼の港」がなくなってしまうのです。
これはちょっとツライかもしれません。
子どもにとって「嫌なことの経験」は、
決して不必要なことではなく、
むしろ無くてはいけないものです。
なぜならこれは「自律と自制」を得る準備になるからです。
嫌な経験を自分の中で消化できるようになることは、
生きていく中でとても大事な強さですから。
しかし…
そういう「嫌な経験」を子ども自身でコントロールできるまでは、親のサポートが必要だと思います。
甘えを受け入れることは、子どもの心を豊かにさせることかもしれませんね。
より豊かな教育を…
山田でした
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