子どもが困る姿を見るなんて…
と思う方もいるかもしれませんが、
ここはあえて「我慢するところ」です。
前回の例「図工の時間に絵の具セットに筆が入っていなかった」とき、
もし「いつもお母さんが準備していた」ら、
子どもは何を思うでしょうか?
そうです。
「お母さんが入れてくれなかったからだ」
と間違いなく思うでしょう。
筆が入っているかの確認を怠って、
恥ずかしい思いをした原因は「自分ではない」と思うでしょう。
むしろ「お母さんのせいで私が恥ずかしい思いをしたんだ!」と
被害者の立場に自分を置くのです。
「私は悪くないのに…」
です。
被害者として、都合の悪いことはすべて「人のせい」にするのは、確かにラクな生き方でしょう。
しかしこれは「自分の人生に責任がない生き方」を意味するものです。
こういう子は「自分の人生は自分次第で変えることができる」と考えず、
「誰かがきっとやってくれる」と人任せな人になってしまうのです。
自主的な生き方ではなく、他人に依存の生き方です。
これを「生き方」と言えればの話ですが…。
こういう子の多くは、無力感を感じることが多く、
うまくいかないことを他人のせいにするので、
とてもストレスが多い毎日を過ごすことになるかもしれません。
なんとも時間がもったいないことです。
子どもが困らないように親が手を出すことは、
子どもにとっての「大事な学びの機会」を奪うことになりかねません。
子どもが「被害者ぶる」だけでなく、
学ぶ機会を失うという「本当の被害者」にならないためには、
親にとっても勇気が必要ではないかと思います。
愛情は、助けることで示すものではなく、
子どもが「自分の力で生きられる」ようにサポートすることで伝えることではないでしょうか。
褒めるもの愛情なら、
叱るのも愛情です。
親は、子どもが責任を学ぶ体験を、子どもが「子どもであるうちに」大いにさせてあげましょう。
どんどん困ればいいのです。
そうすれば…
どんどん考えて、責任ある人になっていくと思います。
な〜に、大丈夫です。
子どものうちは、どんな傷も葛藤もすぐに癒すことができます。
大人になって無責任な人になるよりも、
子どもうちに大いに困る方が、
傷は浅いと思いませんか?
それに…
子どものうちの方がサポートもできます。
これが大学生や社会人になったときだとしたら…
ちょっとおそろしいですよね(汗)
打たれ弱い子ではなく
打たれ強い子のほうが将来的には伸びます。
困ること、我慢すること、恥ずかしいこと
これらは子どもにとっては「学びの機会」なのです。
より豊かな教育のために…
山田でした。
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