子どもに伝えること 責任感その④

子どもが困る姿を見るなんて…

 

と思う方もいるかもしれませんが、

ここはあえて「我慢するところ」です。

 

前回の例「図工の時間に絵の具セットに筆が入っていなかった」とき、

もし「いつもお母さんが準備していた」ら、

子どもは何を思うでしょうか?

 

そうです。

「お母さんが入れてくれなかったからだ」

と間違いなく思うでしょう。

 

筆が入っているかの確認を怠って、

恥ずかしい思いをした原因は「自分ではない」と思うでしょう。

 

むしろ「お母さんのせいで私が恥ずかしい思いをしたんだ!」と

被害者の立場に自分を置くのです。

 

「私は悪くないのに…」

です。

 

被害者として、都合の悪いことはすべて「人のせい」にするのは、確かにラクな生き方でしょう。

 

しかしこれは「自分の人生に責任がない生き方」を意味するものです。

 

こういう子は「自分の人生は自分次第で変えることができる」と考えず、

「誰かがきっとやってくれる」と人任せな人になってしまうのです。

 

自主的な生き方ではなく、他人に依存の生き方です。

これを「生き方」と言えればの話ですが…。

 

こういう子の多くは、無力感を感じることが多く、

うまくいかないことを他人のせいにするので、

とてもストレスが多い毎日を過ごすことになるかもしれません。

 

なんとも時間がもったいないことです。

 

子どもが困らないように親が手を出すことは、

子どもにとっての「大事な学びの機会」を奪うことになりかねません。

 

子どもが「被害者ぶる」だけでなく、

学ぶ機会を失うという「本当の被害者」にならないためには、

親にとっても勇気が必要ではないかと思います。

 

愛情は、助けることで示すものではなく、

子どもが「自分の力で生きられる」ようにサポートすることで伝えることではないでしょうか。

 

褒めるもの愛情なら、

叱るのも愛情です。

 

親は、子どもが責任を学ぶ体験を、子どもが「子どもであるうちに」大いにさせてあげましょう。

 

どんどん困ればいいのです。

 

そうすれば…

どんどん考えて、責任ある人になっていくと思います。

 

な〜に、大丈夫です。

子どものうちは、どんな傷も葛藤もすぐに癒すことができます。

 

大人になって無責任な人になるよりも、

子どもうちに大いに困る方が、

傷は浅いと思いませんか?

 

それに…

子どものうちの方がサポートもできます。

 

これが大学生や社会人になったときだとしたら…

ちょっとおそろしいですよね(汗)

 

打たれ弱い子ではなく

打たれ強い子のほうが将来的には伸びます。

 

 

困ること、我慢すること、恥ずかしいこと

これらは子どもにとっては「学びの機会」なのです。

 

 

より豊かな教育のために…

山田でした。