ほめることも叱ることも、
両方必要なことで、
どちらか一方よりは、
両方するほうがいいです。
そのためには…
「子どもをよく観ること」
が何よりも大切です。
それも否定的な目ではなく
肯定的な目で観ること、です。
肯定的すぎると贔屓目になりますし、
否定的すぎると隣の芝がよく見えてしまいますので、
その点は気をつけて下さい。
そうならないためには、
子どもはこうでなくちゃいけない…
というような先入観を持たないことかなと思います。
家庭での教育哲学は必要だと思います。
漫然と食事と部屋を与えていても
子どもは体は大きくなりますが、
心と頭は成長しないからです。
ですが、それは北極星のようなもので、
揺るがない心棒ですから、
先入観とは全く別のものです。
子どもはこうでなくちゃいけない…
というのは、
いい親はこうでなきゃいけない…
と思うのと同じくらい、
自分を苦しめることになる先入観です。
そういうものから自分を解放したときに、
子どもとも「人対人」の関係を構築できるのではと思います。
僕個人は、
講師とはこうでなくてはいけない、とか
先生とはこうでなくてはいけない、という
先入観は…まったくありません(笑)
理想の講師像なんていうのは、
彼我の彼方のお話で…。
それよりも信頼出来る人になるほうが
大事なことではないかと思っています。
ほめることに頼ってしまうと
「ほめてもらえるからやろう」という
行動の芽が”外的要因”になってしまうことになります。
叱ることに頼ってしまうと
「叱られるからやらなきゃ」となり
行動の芽が”外的要因”になってしまいます。
これはどちらも
「自分の中からのやる気」とはまた違いますし、
何よりも自己肯定感が育つことはありません。
愛されているという安心感よりも
愛されるためにやるという不安感が大きいからです。
つまりは…
ほめてもらえるか、
叱られないか、
そんなことばかりを考える子どもは、
愛することではなく、
人を憎むことを覚えてしまうのです。
これはとても悲しいことですよね。
本当のやる気は、外的要因では絶対に出ません。
外的要因はきっかけにはなりますが、
そのものにはなり得ないのです。
だから…
「うちの子をやる気にさせてください!」
という保護者の方がいるのですが、
その前にこれまでの来し方を振り返ってほしいなぁと思います。
子どもに自己肯定感を与えてきていますか?
より豊かな教育のために…
山田でした。
PS
子どもが自己肯定感を感じるのは、
大人が自己肯定感を感じるのと同じことをするといいのです。
それは何かというと「認める」ことです。
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