みかんせいの学習は、
講師が生徒に教え込む、
講師が生徒に黒板授業をする、
という形式ではありません。
そもそもの学習におけるスタートラインがちがうのに、
一斉に同じ内容を勉強しようというのは
ちょっと無理があるなぁと思いませんか?
自分の意思で自分の学習内容を決め、
自分の頭で考えて、学んでいく
そもそも勉強するのはあなた本人。
周りは「手伝える」けど
あなたにはなれないのです。
一人ひとりの学習内容や学習スピード、レベル、理解度はまったく違います。
それは当たり前なこと。
だから、焦らずにね、
自分自身のために勉強してほしいなと。
次に紹介するのは、
17世紀のイギリスの哲学者ロイス・キャンベルが
14歳の息子にあてた手紙をちょっと翻訳したものです。
自主独立学習とは、
自分で自分の才能を磨いていき、
自分自身に何ができるのかを
理解する学習のことです。
自分の現状を把握して、
得意を伸ばし、
苦手を克服するために学習を
進めていく学習のことです。
勉強とは本来、孤独なものです。
なぜなら…
自分一人で、
自分自身の心と向き合わなければならないからです。
自分と向き合っていく中で、
自分はどのような人間なのか、
自分がすべきことは何か、
自分の目指す道はどこか、
自分にしかできない役割とは何か、
自分が生まれてきた理由は何か、
自分の天命とは何か…
それらのことを学問を通じて、
気づき、
理解し、
掴み取っていくのが
本来の勉強の姿です。
勉強を進めていく中で生じる
孤独を我慢しなければ、
試練を乗り越えなければ、
苦しみを辛抱しなければ、
本当の学問とは言えません。
学ぶことは、だから、簡単ではないのです。
得点を取ることだけを目的としていては、
見るべきことが見えてきません。
勉強することは、
非常に孤独でつらいものです。
しかし、
学ぶことを止めてしまってはいけません。
この孤独に耐えうることが、
学ぶ者の気概になります。
あなたが生まれ持っている天命は、
本当に苦しみに悶え、
辛抱しなければ
理解することはできません。
自主独立の精神を持つことは、
自分が自分でいられる精神を
持つことを意味します。
自主独立の精神を持つためには、
多くの書物を読んで、多くの知識を得て、
多くの経験を積んで、多くの知恵を得て、
多くの悔しさを感じ、多くの思想を得て、
多くの苦しみを経て、多くの嬉しさを得ていくのです。
豊かな情緒的感受性と
飽くなき知的欲求
これらを磨くことが
中学生の時期にやっておくべきことです。
ここでいう磨くとは、
「思考する」ことであり、
「実行する」ことです。
考えているだけでもダメですし、
無目的に突き進むだけでもダメです。
目標を作り、
達成のために何が足りないのか、
何をやっていくのかを思考し、
自分の頭と体と心を使って、
最大限の努力をしていくことが、
自分を磨くことになります。
中学生は大人への第一歩です。
自分磨きをしていく大事な時期。
あなたの時間をもったいない時間にしてはいけません。
忘れないでください。
あなたの時間はあなたの成長のためにこそあるのです。
多少アレンジしましたが…。
福沢諭吉先生も
「一身独立して、一国独立す」
と仰ってます。
自主独立は、
言い換えれば
「自分らしい」
になるのかなと。
レリゴ〜
ではないですが、
本当の「自分らしさ」は
「学びを通じて得た自分の感性」
だと思います。
自分を育てることが自主自立への第一歩。
ちなみにですが…
「みかんせい」は漢字で書くと
「観感性」って書くんです。
未完成、ではないんですねぇ(笑)
個々の感性を観る
そういう場所でありたいなって思います。
PS
ロイス・キャンベルについては、
ネットで調べてもきっと出てこないと思います。
ふる〜い上に、ほぼ無名な人ですからね(ー ー;)