選べるんだね

 人間は古来より

「見た目と音の映像化」をしてきました。

それは…「文字」の発達です。

 

しかし、

いきなり現代の私たちが使っている

「文字」になったわけではなく、

最古の文字である楔形文字(くさびかたもじ)は、

「絵から文字」という変遷をたどっています。

 

これは、

他の古代文字である象形文字も同じです。

 

「見た目(姿・形)を誰でもわかるように映像化する」

という過程で文字ができました。

 

文章題を「絵図化して解く」というのは、

ちょうどこの逆の過程をたどるようなものです。

 

つまり「文章から絵を思い浮かべることができるか」です。

 

この能力を「イメージ力」「想像力」というのですが、

実はこれが「読解力:文章を読み解く力」の正体です。

 

 

空間把握能力とも状況把握能力ともいうことができるこの能力は、

文章と絵や図と数字を使うことで飛躍的に伸ばすことができます。

 

というのも…

私たち人間が長い年月をかけて磨いてきた

遺伝子レベルの能力ですから

伸びないはずはないんです(笑)

 

イメージ力や想像力は、

人の持っている潜在能力に

大きく関与しています。

 

よく「願いば叶う」

と言いますが、

願っている最中には、

願っていることを想像していますよね。

 

そして、

想像の中では

むやみやたらと

「うまくいっている」のですが(笑)

しかし現実は結構大きな壁に当たったり、

トントン拍子には行かないことも多く、

そのことをして「挫折」と言ったりして、

「もう止める…」となってしまうことって

ありませんか?

 

想像が大きいほど

うまくいかないときの挫折も大きいのです。

 

逆に言うと

想像が大きいほど

うまくいったときの歓喜が大きいのです。

 

どちらの場合もですが、

想像することは

行動の源であり、

失敗も

成功も

その結果でしかありません。

 

結果は大事ですが、

その結果は永久に続くものでもありません。

 

失敗した結果は

次への成功のスタートかもしれない。

 

成功の結果は

次への怠慢のスタートかもしれない。

 

なので、

結果に一喜一憂するのではなく、

想像したことが

どれだけ現実になったのかを

見据えて、

受け入れて、

次への行動の源とすべきかなと思います。

 

一度や二度の失敗で

最初の「想像」を捨てることはありません。

 

諦めることはあるかもしれないけれど、

諦めは「覚悟」みたいなもので、

諦めることは決して「無にする」ってことではないです。

 

というのも、

諦めた瞬間に

次の「もっとわくわくする想像」が生まれると思います。

 

まぁ…

その瞬間は「どよ〜んと落ち込む想像」かもしれませんが(笑)

でも、

覚悟が決まると、わくわくの想像が生まれるかなと…。

 

そして、

そうした想像を自分の言葉にして、伝える。

伝え、伝えられしていく中で、

不器用でも

分かり合えるのではないかと思います。

 

ケンカするのも言葉なら、

仲直りするのも言葉です。

 

ちょっとの想像で

人は仲良くなることもできるし、

分かち合えないこともあります。

 

だからこそ、

自分の想像を言葉にして、

伝え合うことで、

分かり合える道をね、

選択したいなぁと思います。