ここ何年か、論理的思考という言葉が溢れかえってしますね。
でも、
モノを考えるときは、
誰も「自分なりの論理」があって、
それが知識なのか、経験なのか、
独創なのか、又聞きなのか、
歴史なのか、発想なのかはわかりませんが、
いずれにせよ、自分なりの論理があると思います。
論理とはその字の如く「論じるための理由」であり、
何でそういうことを「考えたのか」の理由ですね。
だから「何となく!」は当然論理性はゼロですが、
その「何となく!」にそれらしい理由をつけると論理性は出てきます。
もっとも…
それはこれには関係ないだろう、ということを理由にすると、
論理性はやっぱりゼロになってしまいますけど。
では何が論理性なのか?
を考えてみたいと思います。
いきなりですが、次の問題をやってみましょう。
問1
ここに3リットルと5リットルが入るバケツがあります。
この2つのバケツを使って、4リットルの水を作りたいです。
ではどうすれば4リットルの水を作ることができるでしょうか。
バケツの水の出し入れは何回でも自由です。
問2
治安のいい国にいるBさんから、治安のよくない国にいるCさんに、
大事な宝物が入った宝箱を送ることになった。
しかし、そのまま送るとなると、Cさんの手元に荷物がくる前に、
中身を盗まれてしまう可能性がある。
そこでBさんは南京錠をかけて送ることにした。
でもカギを一緒に送ると盗まれる可能性があるので、
一緒に送る訳にはいかない。
Cさんの国でも同じタイプの南京錠を買うことができる。
ではどうすればCさんは宝物を得ることができるだろうか。
もちろん南京錠のカギは異なります。
という問題です。
この2つは結構有名なので、
ご存知の方も多いかなと思います。
ポイントは「論理性」です。
論理性とは「万人が聞いて、万人が納得するような理由や根拠」ってことです。
例えば、
問1で「別のところから4リットル入りのバケツを持ってくる!」というと、
おいおいそれは問題に反してるよねってことになります。
(”この2つのバケツを使って”と言っているので)
問2で「南京錠を工具で切ってしまう!」というと、
おいおいそれは盗人もしそうなことだよねってなりますし、
ピッキングする!とかだと、もはや犯罪者です。
そういうのは論理的ではありません。
でも、こういうのは「発想」としては悪くないんですよね。
時に論理を大きく逸脱した発想っていうのが、
途轍もないイノベーションを起こすことがよくあります。
いわゆる「天才の発想」ってやつで、
今あることの多くは、一部の天才が生み出したことの模倣に過ぎないんです。
しかしながら、
発想が「発想」と言われるのは、
それが世のため人のためになる革新の場合です。
多くの場合は「ただの思い付き」です。
思い付きは、その場限りのことで後には何も続きませんが、
発想は、その後に多大な苦労と大きな革新とを生み出します。
これは大きな違いです。
ですから、思い付きを発想にするためには、
たくさん考えて、たくさん実験してみて、たくさん間違いを見つけて、
最後には大成功を生み出すことです。
そうすれば、思い付きが発想になり、大きな賞賛となるでしょう。
さて、先ほどの問題の答えですが…
もう少し考えてみましょうか?笑
ということで、
解答は次回に持ち越します!