ここ1ヶ月の間に、
北海道の頃、教えていた生徒たちが2人も来てくれました。
懐かしい雰囲気とともに話が盛り上がります。
今は2人とも大学生としてとってもenjoyしているそうです。
1人はプログラミングにハマり、
ひたすらパソコンに向き合う毎日。
1人は違う大学(某UTの人たちだそうで、とっても楽しそうでした)の人たちと東京でブラ○モリを行っているようです。
生き生きと自分のやっていることを話してくれる彼らにあって、なんだかこちらも若返るような気持ちになりました(笑)
写真の彼は、今、塾講師をしているようで、
みかんせいで行っている授業と、全く違うスタイルの授業のようで戸惑いが隠せない様子でした。
「答えを言ってそれで終わりでいいんだと言われました。どうして質問に答えだけを返さなきゃいけないんですかね?
答えを言うためだけに講師がいるんですか」と。
「キーワードを書くことが大事だ!と言われたんですけど、板書の多い授業のどこが面白いんですかね...困っているのはキーワードとキーワードを結ぶ背景なのでは?」と。
「僕、もっといろんなことを伝えたいと思うんですよね〜」と。
なんだか痛いところを突っ込んできますよね
(きっと教師と呼ばれる方々はいつも疑問に思っていると思います。笑)
10年以上みかんせいにどっぷりとつかって、たくさん仲間たちに教えてきた彼ならではの質問にわらっちゃいました。
みかんせいの学習の一つに「忍耐」というキーワードがあると思っています。
自分でできることは自分で精一杯行う。それでも困ったときには人に助けを求める。
答えを出すことが目的ではなく、理解した上で自分がその知識をどのように活用していくのかを考える。
丸をもらえたらもちろん嬉しいです!
でも、人に教えてもらった答えを写して丸をもらって嬉しいですか?
ずっと答えをもらうままでいたいですか?
普段の生活の中で、困ることってほとんどなくなってきましたよね。
大きな発見と科学の力のおかげで、生活はどんどん豊かになり、簡単にできることが当たり前になってきます。
もちろんそういった武器を上手に使いこなせるということは大事な力です。
しかし、その武器がなくなったときにいかに工夫できるのか、も大事なのではないかなと。
「これがないからできない」とか
「知らないからできない」とか
そうではなくて、
知らないことだけれど自分の知っている知識と経験の中から生み出すということも大事なのではないかと思います。
なぜなら、今習っている数学や理科は、考えれないほど失敗をくり返しても探究心を持ち続けた誰かが法則を見つけ出してくれたものなんですから。彼らも同じ人間ですよね^^
彼らと同じ人生を歩めというわけではありませんが、
答えが出てくることが当然だと思っていると、挫折したときに這い上がるエネルギーを生み出すことができません。
テストで出てくるから覚えるではなくて、どうしてこうなるんだろう?ってもっと疑問に思って欲しいです。
テストで答えが書ければいいやではなくて、次もできるようにするためにはどうやって覚えておこうかなって考えて欲しいです。
答えが違ったから自分はダメだではなくて、このやり方が違ったなら他の方法はどんな方法があるだろう?って次に繋がる失敗にしていって欲しいです。
卒業生の中に、「みかんせいは自分の考えを否定しなかったから一生懸命考えることができた」っていってくれた子がいました。
否定できるはずがありません。
なぜなら正しい道のりを歩んでいるのであれば、その間の考えに正解も不正解もないからです。
(もちろんスピーディーさとか正確性とか欲は出ますが。笑)
誰しもが一生懸命考える力を持っています。
だから周りの人間がそれを邪魔してはいけない!って強く思います。
そのためにいっぱいいっぱい時間をかけます。
でもその時間がいつの日かよかったなって思える日がくると思います。
自分が変わった瞬間に爆発的な力を発揮できるように、楽しんで、苦しんで、学生という時間を過ごして欲しいなと思います^^