なかなか怖いニュースが毎日飛び交っていますね。
どうにもこうにも自分だけでは防げないというのがウイルスの怖いところです。
生徒たちの中から病原体を特定する仁先生みたいな研究者が現れたら面白いな〜と思いながら、
アルコール消毒をせっせと行っています。手荒れが〜><
さて、今日はウイルスは「生物(生命体)」と言えるのか?
という随分と漠然とした問題について考えたところから徒然なるままに書いていこうかなと思います。
私が高校生の頃習った生物の定義は、
① 細胞から成る ② 代謝を行う ③ 呼吸する
④ 成長する ⑤ 反応性がある ⑥ 生殖を行う
という6つの事柄でした。
ウイルスは増殖はするが自己増殖はできず「⑥生殖を行う」に反し、
また、ウイルスを構成する最小単位が細胞ではないので「①細胞から成る」に反するため非生物である。と習ったわけです。
みなさんはどう思いますか?ウイルスは生物?非生物?
私は非生物だと思います。
だから、非生物なのになぜ存在するんだーとこの時期になるといつも考えちゃいます。
ウイルスなんていなければ、冬をもっと快適に、心地よく過ごせるのに〜と。
私は『循環すること=サークル」が好きで、
いろんな関係のなさそうなものを結びつけて考えることが好きなのですが、
ウイルスのことを考えると、そのサークルが崩れるような感覚に陥ります。
ウイルスの声だったり、ウイルス本体だったりを見れば何かしらの縁を感じるのかもしれませんが、
どうにもこうにも敵にしか見えないわけです。
大体の厄介な病気の原因がウイルス性と呼ばれ、悪のイメージが大きすぎるわけです。
しかし、ついこの前「いいウイルスも存在するのでは?」と思い調べてみました。
すると、いるんですよ、いいウイルスが...
しかも、人の誕生に関わるウイルスも存在するとか...なんてこった!です。
まさに知らないままざっくりと嫌っていたわけで、ちょっと反省しました。
やはり、「印象づけ」とは怖いものですね
さて、こんな風に考えていると、
私たちは想像ができるがゆえに最初のイメージにとらわれやすい生き物なんだなと思ったわけです。
一度○○だ!と思いこむと、そこからの脱却はなかなか難しい。
これがいわゆる自己肯定感や自己否定感などにも繋がるのかなと思います。
一度自分を○○な人間だ!と思いこむと、そのような人になっていくのではないかと思うのです。
そういった意味では、自己肯定感が強いように思いこめるとなんだかハッピーな気がしますね(笑
ただ、y○hooニュースをみていると、
「褒めることが大事で叱ることは必要ない、なぜなら自己肯定感が必要だから!」
という論調を目にすることがあります。
こういう記事をみるたびに、
褒めるではなく、認める。ではなのかなと思っているのですが...
褒めること、叱ることとは難しいものです。
認めるということもおこがましいですが、
人それぞれに考え方の相違はあって、全く同じ人間などいないわけです。
ただその中でも仲間ができていくのは、相手の考えを受け入れる範囲が重なっているからなのかなと思います。
(高校数学でいうと、AかつBではなくAまたはBというような...)
生徒たちも一人の人間としてきっと考えていることがたくさんあるはずです。
ただそれを外に表現する術がまだ拙いだけで、その術を学ぶのが学習であります。
よく知らないままにその人にイメージを植えつけてしまうことはよくあって、
そのせいで自己否定を強めてしまうことは否めません。
他人の意見は、良くも悪くもその人物を作り上げる上で大きな影響を持つからかです。
だから、その逆で自己肯定感を高める動きが大事だと言われるのかもしれません。
でも、だからこそ
いいことがあれば感謝し一緒に喜び、やっちゃダメなことがあれば叱る。で良いのではないかと思うのです。
無理やり自己肯定感を高めなきゃダメなんだ!なんて思うよりも、
その子の大切にしているものを一緒に守れるようになれる方がよっぽど難しくて楽しい気持ちがします。
多くの子達は、難しい問題に当たると「絶対できない」といってノートを持ってきます。
できないことは叱りません。でもできる力を持っていて発揮しきれていない場合は違いますよ...
大概のことは、「大丈夫、できるよ」と言って、隣でやってもらいます。
手も口も出しません。じっと見守り居場所を提供するわけです。
すると、大抵の子はその問題を解いてしまうんです。(もちろん見誤ることはあるので...そう言った時はごめんなさいです><)
ある生徒さん曰く「先生はパワーが滲み出てるからね!隣でやるとできるんだよ!」と言っていましたが、
パワーなんてなくて、自分の力を信じきれていないだけなのかなと思います。
褒めなくても人は自分で勝手に自分を認めていきます。
それに自分自身がこれはできる!と納得できた時、初めて今までにない力を発揮するように思います。
それでも認められない子には、「君のやってきたことがここに繋がっているだけだよ」とお話しします。
ただそれだけいいような気がします。
悪いイメージの払拭は難しいのですが、
良いイメージを作り上げた時、人はその方向に向かうことができます。
そのイメージはいろんなことを学んで、自分が考えた良いイメージであって欲しいと思います。
そうすれば夢を実現できる人に近づくからです。
またとめどない感じになってしまいました(笑
今日はここまでにしたいと思います^^
明日は校舎の様子をお届けします!