勉強の内容がわかるぅ〜
という感覚は人それぞれ違うものですが、
勉強の場合の「わかる」は、
他のことにも「汎用できる」ってことで、
言い換えると「再現性がある」ってことです。
いろんな問題が出題されますが、
それらに対して解答できる知識になってるってことです。
こうした「わかる〜」は嬉しいことですが、
今回は「共感」について話したいと思います。
今回の新型コロナウイルスに対して、
多くの人が「コロナに対して」同じような感覚になったと思います。
曰く「早く終息してほしい」「コロナに負けるな」的なものです。
悲観するわけではないですが、
終息はしませんし、
勝つこともできないでしょう。
でも、
脅威を避けることはできますし、
感染拡大を抑えることもできます。
そんな「同じような感覚」を「理解すること」
つまり、「相手の気持ちを理解すること」が共感…
って思うかもしれませんが、
もしかしたらそれだけでは不足なのかなって思う時があります。
共感とは、
「相手の気持ちを考えて、理解して、その通りだと感じること」
であり、
相手と似たような経験をしたことがあれば、
相手がどのように感じているのかを理解することもできるかもしれません。
とはいえ、感覚は人それぞれ違うわけですから、
完全な共感ってことにはならないでしょう。
ましてや、相手と似たような経験をしたことがない場合、
相手がどんな風に考え、感じているのか、
きっと全くわからないかもしれません。
でも…そんな場合でも「共感する」ことはできると思います。
なぜなら、そもそも共感とは「相手と同じように感じる」という、
いわば同情とは違うものだからです。
そうではなく、
共感とは「相手が何を感じているかを理解し、それに対する解決策を模索すること」
だからです。
なので、相手がとても辛い思いをしてることに、本当の意味で共感できれば、
つまり「その辛さに対する解決策を模索し、提供」できれば、
きっとそれだけで気持ちが通じるのではないかなと思います。
コロナ下の状況で、
多くの店は苦労しましたし、
多くの商売は苦心しました。
多くの企業も悩んだでしょうし、
多くの事業主が苦境になりました。
まぁ…ある為政者の友達の方達やそれに近しい会社や人たちは、
火事場泥棒並みに儲けたかもしれませんけどねえ…
多くの善良な方達は、
大変な辛苦の中にありました。
そんな辛苦を理解して、
それに対する解決策を模索することで、
多分ですけど、模索するだけで、
気持ち的には救われること大だと思います。
自らの中にある”正義”を振りかざすだけでは、
自分だけは”正しい”と思っているだけでは、
何にも解決しないし、役にも立たないし、
時には害毒にさえなり得ます。
これはとても怖いことで、
その誰かの”正義”に、
考えもなく”共感”してしまえば、
その行為が”悲惨”なことにもなり得ます。
本当の意味での「共感」をすることで、
きっとこの世知辛い世の中も、
もっと血の通った暖かい世界になるんじゃないかなって思います。
相手を想像するってことも大事なことですけど、
それが「思い込み」になるとあとで結構面倒臭いので(笑)
それよりも相手の感じていること(困難や辛苦)を理解して、
その解決策を模索することの方が、
やっぱり寄り添っている感じがします。
そうした「行動」こそが、
気持ちのつながりを作るように思います。
そして…
その解決策を押し付けないことも大事ですよね、
押し付けるとそれはそれでまた面倒臭くなりますから(笑)
共感がケンカになる瞬間ですね、気をつけましょう(^ ^)
こういう時は、自分を勘定に入れないことが肝要です!