最近の流行歌を聴いていると、
一昔前の歌詞とは全然違っていて、
そのころの歌詞はひたすらに、
僕は君を愛しています!的な歌詞が多く、
いわゆるラブソングが主流だったように思います。
ミディアムテンポに乗った愛しています的な歌詞。
今でもカラオケで歌ってしまうこと、ありませんか?笑
平成も終わりに近づき、
令和になった今、
そういうような”直裁的なラブソング”ではなくて、
”僕はこう思っているんです”的な、
心の内というか、
内面というか、
内向的な歌詞が多いなぁと思います。
こんなに辛いこともあったりするけど、
こんなに苦しいことがあったりするけど、
でも自分らしく生きていこうぜ、
君の思いは決しておかしくはないんだよ、
僕は僕のままで生きていたいんだよ、
というような感じです。
オンリーワン的な歌詞というよりは、
This is me.的な歌のように思います。
これが僕なんです!というような内容ですね。
そういうような歌詞に通底しているのが、
「今を生き続けよう」
ということのような気がしています。
この場合の「今」は、
時間のことを言ってたり、
この瞬間の存在のことを言ってたり、
未来へのスタートのことを言ってたり、
過去からの連なりを言っていたり、
様々な感じはするのですが、
そのどれも「今を生きよう」
ということを言ってます。
過去は変えられない
未来は分からない
実感できるのは「今」だけで、
この今の自分を精一杯生きること、
それだけしかできないのが真実です。
なので、僕たちはどう頑張ったって、
今を生き続けるしかできません。
過去に生きることはできないし、
未来に生きることもできません。
過去は生きてきた歴史でしかなく、
未来はいくつもの選択肢でしかないのです。
未来への想いはあります。
しかし、未来は不確定。
不確定なものを確定にしたいがために、
今を生き続ける。
それが努力となるのだと思います。
一足飛びに未来になぞ行けませんからね。
今を生き続けて、
今を生き続けて、
そして「過去の自分」から「今の自分」を見たときに、
「望んだ未来になったなぁ」とか
「まだまだ先だなぁ」とか
「なんでこんなになっちまったのか」とか(笑)
なんて思うんだと思います。
過去の自分から見て、
今の自分はかっこいいんだろうか?
そんな疑問(哀愁?)は常にあります。
でも過去の自分が目指した時点は、
今のこの時点ではないかもしれません。
もし、まだかっこいい自分になってないかも…
と思うんなら、まだまだ努力のしがいはあるかもしれませんね。
今の自分は、
きっと常に「かっこいい未来の自分」を、
頭の中なり、胸の内なりに秘めていると思います。
そういう「秘めた自分」を抱えている自分は、
決して過ちでも、幻でもなく、
今を生き続けている自分に他なりません。
そういう「今の自分を生き続けること」で、
きっと間違いなく「かっこいい自分」になっていくのではと思っています。
それは、クールにスマートに悩みなく苦労のない自分…でなく、
泥臭くて、汗臭くて、地味な努力を続けて、悩み、苦しみ、泣き…抜いた自分ではないでしょうか。
何も苦しさのない中で、
何かを手に入れられるなんてことはないと、
僕たちは知っています。
数限りない大小の挫折を経て、
挫折した分、強くなった自分がいて、
挫折を受け入れて優しくたくましくなった自分がいて、
多分そういう「今を生き続けた自分」を
かっこいいって思うのではないかなと思います。
今を生き続けることしかできない僕たちですが、
だからこそ自分のかっこいいをいつまでも追い求めていたいなぁって思います。
追い求めるってことは、行動することですからね。
いつまでもそういう行動をしてたいなぁって思います。
…そうかぁ、
だから僕はいつまでも落ち着きがないのかぁ(笑)