教えない授業

最近よくニュース記事で見かけるようになってきましたね。

こんな機会が日本全国でどんどんと増えていくといいなと思います^^

 

さて、教えないことで子供達自身が学んでいく環境を作れるとサイコーという記事だったのですが、

某yah◯oニュースのコメント欄を拝見したところ、

「こんなことができるのは偏差値60以上のところだけ」

との記載がありました。

私はこの記載にちょっとだけ違和感を感じました。

 

というのも、みかんせいに通ってくれている子たち全員が偏差値60以上か...というとそういうわけではありません。

でも、どんな子たちもここでの学習を楽しんで(?)、少なくとも一生懸命に学習してくれています。

 

教えない授業が成り立つのは「その子の中に、何かしらの「〇〇したい!」があること」なのだと思います。

 

相対的に偏差値が上位の方が、負けん気が強かったり、努力できる傾向にはありますが、

誰しもの中に眠っている「〇〇したい!」をひきだすことができれば達成できると思います。

 

その「〇〇したい!」を勉強面だけで見ようとすると、苦しくなるのでしょう。

コメント欄で指摘しているのは、今の学校の制度の難しさなのかもしれませんね。

 

教えないけどそこにいる。

安心して学べる。

そんな場所が増えていくといいなと思います。

 

 

さて、ここ数日で、伝わらないもどかしさや伝わる喜びを強く感じることがありました。

 

学びは決して強制すべきものではありません。

ただ、自分の生活や考え方を豊かにしてくれるものだと思っています。

 

だからこそ、学ぶことを楽しんでもらいたい、できるを実感して欲しいという思いで、

日々、生徒たちと接しています。

 

できるようになれば一緒に喜ぶし、

できるようになるための努力を放棄しているのであれば思い切り叱ります。

その過程で、共有できる想いができた時に、お互い成長できるのかなと思っています。

 

人間なので、すれ違うことは多々あると思うのですが、

お互いに言葉や文章を交わすことによって、そのズレを許容範囲内にしていくこと、

これがコミュニケーションです。

 

きっと全国で教えない授業がウケ始めているのは、

対等な立場で、相手の意見を受け止めつつ、自分の意見も織り交ぜていく過程が楽しいのだと思います。

 

 

みかんせいで学習をしている中で(言葉は悪いですが)"勝手に"成長してくれるのは、

コミュニケーションを取ろうとしてくれる子たちです。

これは、世間話をしているということではありません。

「『自分はこう考えています。』どう思いますか?」をぶつけてくれるということです。

 

これからもそうやっていろんな思いをぶつけてくれると嬉しいなと思います^^